読書メモ。石黒圭『文系研究者になる』(研究社2021年)

読書メモ。あくまで私個人向け。多方面に問題あり。

 

うーん。これは対象者がかなり限定されている本。

大学院に行ったばかりの人に、どうやって研究していくかについて解説した本。つまり、指導教官の最初の「仕込み」をサボるために書かれた本という印象。

 

なので、あんまり響かないですなあ。読む前は在野系でも研究を続けていくためにはどうしたら良いかについて書いてある、技術系の本かと思ったのです。

 

公共図書館にあることがある意味不思議というか、大学においておけよという本。

それは、見た目だけで借りてくる私が悪いんだけど。

と言った感じ。

あと、文系と言っても社会学や日本語学に特化した内容なので、他の文系では通用しないような話も多くあります。(たとえば歴史学で統計使う場面は少ない気がするが、統計について割と記述してある。)

 

まあ、そんな感じ。

なにかがあれば、再読するかもしれないが、機会は訪れなさそうな予感。

 

(左京図書館)

読書メモ。佐保田鶴治『続・ヨーガ根本経典』(平河出版1978年)

あくまで読書メモ。個人向け。多方面において問題多し。

 

一応目を通した。

根本経典と書いてあるが、ハタ・ヨーガの系統なので、そもそも根本じゃない説を唱えたい。

ヨーガをする人にとっては、大元がどのような考えなのかを知るのは重要だろう。ただ、この『続』は書いてあるように、密教的な味がつよくついているので、大元とは既に言えない気がする。

 

佐保鶴さんはあんまり期待してない。この人の後継が宗教団体をつくっているが、まあなんというか、という印象がある。

そこのセミナーで講演してた、立川武蔵先生の言説の方がこちらに響き、納得できたという経験に基づいている。

 

これから色々と研究していくうえで、佐保鶴に戻る可能性はあるが、佐保鶴はオウム的な香りを感じてしまうので、研究対象にはなりにくい(私に先入観があるため)。

といった感じ。

 

(左京図書館 )

読書メモ 水野学『センスは知識からはじまる』

これも読書メモ。私個人向け。

 

究極、タイトルが全て。以上。

よく対象物を観察しましょうという本。

これも流し読みしたので、よくわかってないですが、もう一つ響くものが無かったです。

再読するかと言われたら、うーんどうかなあと言ったレベル。

私個人が即効性のあるテクニックを求める傾向が強いので、この本はあんまりと言った感じなんでしょう。

 

センスを身に付けたい、それも根本から という人には、可能だよと教えてくれる本です。

 

 

読書メモ 鴻上尚史『リラックスのレッスン』(大和書房2019年)

あくまで読書メモ。私個人向けというものです。

とお断りを書いて、感想的なモノを書いてみるというやつです。

 

今回はこれ。あんまり鴻上氏には良い印象がないんだけど、という先入観ゴリゴリで読んだので、全くもって主観的な話。

 

リラックスの本は最近よく読んでいるので、知識だけはブクブクと太り、実践が伴っていないのは、よくよくわかっているので、まあ、なんだかなあっていう私の感想。

 

リラックスの本なんだけど、今まで読んだ中では最も、演劇やスピーチに偏った本。まあ、演劇系の人だから当たり前なんですけどね。

アレキサンダーテクニーク、フェルデンクライス、スタニスラフスキーシステムについても言及があるので、色々とべんきょうになるんですが、色々と手広くやった結果、演劇やスピーチでの広範に使えるのに終始している印象がありました。

 

この範囲に限定したなら、ここでいけるんでしょうが、個人的にはもっと深いレベルでのリラックスを求めているので、うーーーーーん、もうちょっと行こうよっていうイメージが強かったです。

 

働いていて営業で緊張するとか、会議での発表が緊張するとか、スピーチする機会が多く、緊張して上手くいかないっていう人にはピッタリかなあという感じ。

 

ただ、アレキサンダーテクニーク、フェルデンクライス、スタニスラフスキーシステムに言える事ではあるんだけど、これらには「即効性」がないので、その辺りが難しいなあって思う。ただ、「こうかはばつぐんだ」はあるので、その辺りかなあ。という個人の感想。

 

流し読みなので、多分奥深いところは掴んでないので、再読は必要かもしれないとは感じている。

京都市吉祥院図書館の本)

 

中西嘉宏『ロヒンギャ危機』(中公新書2021年)読書メモ

なんか、サントリー学芸賞を取ったらしいというのを新聞で読んだので、図書館で借りて読んでみました。

 

学芸賞については、こちら。

www.suntory.co.jp

昨今のウクライナの問題の前には割と問題として取り上げられていた、ロヒンギャ問題。テレビで寄付を募ってたあの問題ですね。ウクライナ以降はあんまり見ない気もしますが…

 

一体ロヒンギャとは何ぞやって、わからないうちから、寄付を募られてもねえって、思っていたのです。(きっと怒られる)そんな状況でこの本を読んで、ロヒンギャ問題は 思っていたよりもかなり複雑 ということがわかった気がします。

文章自体は割と硬質なので、新書っぽくないのですが、論文よりは読みやすいという点はいい点だと思います。

 

内容は、複雑なのをひとつひとつ解説しているので、読んでもらうのが一番いいのですが、一つのポイントとしては、この本は、軍事クーデター前に罹れたもので、軍事クーデターの危険性があるって書いてある点かなあ。書いた時期とは違う状況になっているので、その辺りを見て行くのも、読者としての面白みかなあなんて、思ったり、思わなかったり。

 

今更、ロヒンギャ問題の根源は何かについて知りたい方は、読まれたほうが良いと思います。発展途上国特有の問題もあるみたいですね。

 

全く推敲していないので、文章がメロメロですので、今回はここまで。

ブログを書く気に私がなったときにまた、お会いしましょう。

 

実用本を空想的に使ってみた話

実用本が好きです。それを適当に使ってみて、何となくうまい事言った気分になるのが好きです。

自己啓発本とかビジネス書なんかは直接的につかってみて良かった部分だけ取り出すのとかがよくやる手法ですね。

同じように、生き方についても適当に使えるような本を読むことが多くなってきました。(つまり、楽な道を探そうとして、逆に迷ってるんですね。)

 

そんな読んできた実用書(?)で印象に残っていたような気分になったものをちょこちょこっと書いて行こうかと思った次第であります。

まずは、ありきたりな自己啓発本系から。

 

ええ。もうまるっきり自己啓発本的なスタイル。そしてありがちな自己啓発本ストーリー。ですが、そのまま利用するより、ここで使われている「システマ」の入門書として利用する方が便利な本ではあります。(ストーリーは結構ベタなので読む価値少ないのです。)

ステマも根幹部分だけは初心者向けに説明されているので、その部分を丸々やってみても効果はあるんじゃないのかなあって思います。

まあ、この本を読むか読まないかあたりで、カルチャースクールに通ってシステマ習い始めたのは、感化されやすい中年ニートの悪い癖では、あります。

 

呼吸、動き続ける事、まっすぐにすること、リラックス がシステマでは重要視されます。それを行うことで生きていくのがラクになるんじゃないの?ということなのです。

 

リラックスってなかなかむずかしいんですよねえ。という私のような身体操作が下手な人にはこちらの本も面白いと思います。

 

緊張をとる

緊張をとる

Amazon

こんどは、演劇の本。演劇をしていくうえでは緊張をとってリラックスできるというのは前提条件みたいで、その緊張を取る方法を書かれた本です。ただ、こちらも なんともいえない ストーリー仕立て なので、その辺りをどう評価するか。ただ、ここにでてくるテクニックや考え方は確かに一理あるので、試す価値は十分にあると思います。

 

どちらとも呼吸を使ってリラックスさせる的な話が出てくるのですが、私はどうもうまくいかない。その時に読んで「呼吸の仕方」の私の癖が見つかったという本がこちら。

 

今度はアレキサンダーテクニーク。これも実は少しだけ習いに行ったことがある。その時気がつかなかったことが、いま自分の問題として見つけることができたという意味では大きなものがあった本ですが、ちょっと齧ってというのは厳しい本でもあるような気がします。ちょっと齧るなら、こちらの方が、アレキサンダーテクニーク齧りやすい。

 

そう、こちらも緊張を取って行きましょうという本ではあります。

言葉での誘導があるので、それで変わっていくことができるのではないかと思ったりしました。

実際ちょっと試して少し楽になったのは、中年ニートの体で実証済み(当社比)。

 

ここからは私個人の話ですが、

どの本にとっても出てくるのが実は呼吸。

ステマでは呼吸が割と重要視されているので、呼吸するんですが、さほどリラックスしない。太極拳やヨガでは逆腹式呼吸とかしたらリラックスするとかいうので、やってみたのですが、それでもリラックスしない。そんなときに読んで、目から鱗だったのはこちら。

 

しっかりとは読んでないですが、この本には「逆腹式は不自然」だって書かれており、たしかにそうだなあって思い返した思い出があります。そのあとは、逆腹式はあまり考えないようにしました。その後に、先述の『心と体の不調を解消するアレキサンダーテクニーク入門』を読み返したところ、私の呼吸が「そもそも変だ」ということに気が付いたのです。

 

呼吸するのに何をすれば良いのか、何をしなくても呼吸できるかの区別がちょっと分かってきた気分になってきたのです。

呼吸するのに必要なものはよくわかってないですが、不必要なものがちょっとわかってきました。

私にとって不必要だった可能性のある呼吸時の行為としては、

  • お腹を出っ張らせる、引っ込める (逆腹式呼吸のつもりだった)
  • 胸を高く上げる わき腹を緊張させる(肺を大きくしたつもり)
  • 空気の流れを喉あたりにぶつけ、音を出す(抵抗ができるので悪くなる)
  • 肩を上下させて一所懸命呼吸のフリをする(肩が緊張して逆に肺が膨らまない)

などなどやってたんだなあって、この実用本を読み漁って気が付いたのでした。おかげで呼吸が変わり、システマでも少しリラックスできるようになった気がしてるのは、多分オマケなんでしょう。

あと、呼吸関係で新たな発見があったのは、

 

 

 

という、古典(?)にでていた

「艮背」という考え方。剣術というにもある思想らしいのだが、この辺りを意識して呼吸すると、心が落ち着くらしい…。

「面背は又各おの三段に分つ。乾の三陽位、前に在り。初を震(しん)と為し、中を坎(かん)と為し、上を艮(こん)と為す。坤の三陰位、後に在り。初を巽(そん)と為し、中を離と為し、上を兌(だ)と為す。其の陽の顔面に在る者は、之を背上・身柱に収め、陰と相代れば、則ち前兌・後艮を成して、面冷かに背暖なり。胸陽之を背中・脊髄に収めて、陰と相代れば、則ち前離・後坎を為して、胸は虚にして背は実なり。腹陽之を背下・腰上に収めて、陰と相代れば、則ち前巽・後震を成して、腹は柔らかにして気を蓄え、腰は剛くして精を聚(あつ)む。前の三陽皆後の三陰と相代れば、則ち函(かん)して前坤・後乾を成し、心神は泰然として呼吸は天地と通ず。余は艮背の工夫より之を得たり。」

「精神を背中に移動させる技法を艮背(ごんはい)の工夫と呼びます 人間の雑念が発揮されるのは人間の意識が身体の前面すなわち耳目鼻口と云った感覚器官にあって外物との接触によって乱されるからです 意識を背面に移動させる事によって外部からの感覚を遠ざけ雑念を消す事が出来ます」

剣術系だねえ。この辺が次の研究かなあという感じです。

柳生新陰流の「西江水」の考え方を空想的に使ってみるというのが次なる野望です。まだ、この辺りの本は読んでいないので、来年あたりに何とかしたいとおもってますが、出来たらいいなあという感じです。

 

結局何が書きたかったのかが、やっぱりわからないような終わり方になりそうですが、まあ、書きなぐって終わってみればこんな感じだった。そんな年末のアドカレでした。

 

以上となります。機会があればまたお会いしましょう。

 

 

 

一枚まわし

「うーん。一枚まわししかとれてないですねえ。これじゃあ苦しいですよ?

 

双葉山の邪宗門: 「璽光尊事件」と昭和の角聖

双葉山の邪宗門: 「璽光尊事件」と昭和の角聖

 

 もう少しガッツリとまわしを掴まないと、何もできないですし、何もさせてもらえません。

 

ノンフィクションだからと言ってもこれだけ まわし の取り方が浅いとねえ。

 

ここで紙幅に追い詰められた。どうする、どうする?

ああ、あっさりと土俵を割りました。

 

もう少し土俵際で粘るなり、うっちゃりを打つなりして観客を湧かせないと、「物言い」すらつかないですよ。

 

取組前にはわりと期待されていたこの一番、結局あっさり過ぎです。

内容的にもあっさりしてましたし、

 

相撲に負けて勝負にも負けた そんな感じの一番でした。

 

まあ、見る点として面白いかもしれないのは、双葉山にこんなことがあったんだという違う意味での人間性かなあってところです。

 

次の場所も出場するなら期待しても良いのかもしれませんね。」

 

 

以上です。